人形づくり 2021年11月3日
日曜のライブに備えて人形の補修。
2017年、2019年フジロックに向けて作った二体の人形。さすがにガタがきている。
祝日の晴れた午後の公園の占有権はぼくにはない。隅っこの方に少し間借りして、紙粘土をこねていると、少年少女が興じるサッカーボールや野球の球が度々飛んでくる。
すみませーん、という声に頷いて手を挙げて「大丈夫、むしろすみません」的に合図を送る。
昔から幼い子に対してどう接していいか分からないところがある。
周りの大人のように気軽に話せなかったりする。決して子どもが嫌いというわけではないのだが、妙に距離を置いてしまう。
幼いときの僕の周りにいた大人たちはなぜあんなにもラフに僕と接していたのだろう。
そんな大人たちを見てきたのに、なぜ僕は子どもと距離を置いてしまうのだろう。
僕は人にパーソナルスペースを侵されるのが嫌だというよりは、人のパーソナルスペースを侵すのが嫌なのかもしれない。
人の大切なものを侵すリスクを恐れているというか。それが子どもの接し方にも出ているのかもしれない。
自分の子どもだったらどうだろう?と良く考える。分からない。もちろん愛するだろう。自分が愛されていたから、それを子どもに還元する形になるだろう。愛されていたと実感できる分、僕は強い。
人形の補修を終えて、劇パートの打ち合わせ。終えて帰路につく。
読みかけの本を読む。
茂吉の歌、主に「死にたまふ母」を深く考察する本。「死にたまふ母」を一首一首ていねいな読みをしてくれているのがありがたい。近代短歌の魅力がじわじわと体に浸透していく感覚を味わう。
これ読み終わったら、前著「斎藤茂吉:あかあかと一本の道とほりたり」も読もう。